勝俣 英吉郎(かつまた えいきちろう、1865年4月13日〈慶応元年3月18日〉 - 1930年〈昭和5年〉4月7日)は、明治から昭和時代前期の政治家、医師。長野県上田市長。俳号・かつ丸。
経歴
信濃国上田城下の上田藩医の家に生まれる。1879年(明治12年)東京外国語学校でドイツ語を学び、1883年(明治16年)東京大学医学部別課に入学し、1887年(明治20年)帝国大学医学大学を卒業し、1888年(明治21年)家業の医院を継ぐ。
1891年(明治24年)信陽医学会を創立し、同会長を務める。日清・日露戦争では日本赤十字社救護医として従軍。1909年(明治42年)長野県会議員に当選し、立憲民政党支部長に就任した。1919年(大正8年)上田市会議員に選出され、1923年(大正12年)同議長に就任。
細川吉次郎市長の死去に伴い1924年(大正13年)7月14日、推挙され上田市長に就任し、1930年(昭和5年)4月7日、在職中に没した。この間、上田橋の架け替え、丸子鉄道・上田温泉電軌北東線の開通、汚物焼却場設置、市営運動場、児童遊園地の建設などに尽力した。
ほか、1914年(大正3年)長野県医師会長、1919年(大正8年)より5年間に渡り上田市医師会長を務めた。また、かつ丸と号し、俳句も能くした。
親族
- 長男:勝俣稔(医師、国会議員)
脚注
参考文献
- 田島清編『信州人物誌』信州人物誌刊行会、1969年。
- 『日本の歴代市長 第2巻』歴代知事編纂会、1984年。
- 赤羽篤ほか 編『長野県歴史人物大事典』郷土出版社、1989年。ISBN 4876631263。
- 『上田市誌 人物編:明日をひらいた上田の人びと』上田市、2003年。




