汪 瑞闓(おう ずいがい)は、中華民国の政治家。中華民国維新政府、南京国民政府(汪兆銘政権)で浙江省の長をつとめた。
事績
1912年(民国元年)12月16日、江西省の初代民政長に就任した。第二革命(二次革命)前後に事実上辞職している(正式な罷免は1914年4月)。1916年(民国5年)2月10日、参政院参政に任命された。1921年(民国10年)8月18日、紙菸捐務駐滬総弁に任命され、1924年(民国13年)11月21日まで在任した。
中華民国維新政府が成立した後の1938年(民国27年)5月、浙江省政府が正式に組織され、汪瑞闓が省長に任命された。翌1939年(民国28年)1月3日、汪瑞闓は刺客の銃撃に遭い負傷している。汪兆銘(汪精衛)が南京国民政府を樹立した後も、汪瑞闓は浙江省長にとどまっている。1940年(民国29年)10月、浙江省政府が省主席制に改組されても、そのまま省政府主席に留任した。1941年(民国30年)1月24日、省政府主席在任中に杭州市で死去。享年67(満65歳)。
注
参考文献
- 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1。
- 『杭州市志』「大事記」中国杭州(中共杭州市委・杭州市人民政府ホームページ)
- 王沢強「汪瑞闓的伝奇人生」『淮海晩報』2012年4月15日。




