フースバル・ブンデスリーガ 1971-1972はドイツサッカー協会 (DFB) によって開催された男子全国最上位リーグの第9シーズン目である。FCバイエルン・ミュンヘンが優勝し、3回目のドイチャー・フースバルマイスターの座に就いた。

概要

優勝争い

二連覇中のドイツ王者ボルシア・メンヒェングラートバッハが早々に脱落し、王座奪回を狙うFCバイエルン・ミュンヘンと、下馬評の低かったFCシャルケ04が、優勝争いの中心となった。昨季6位のシャルケは、誰からも優勝候補と考えられていなかった。

しかしながらイヴィツァ・ホルヴァート監督は、サッカー西ドイツ代表DFクラウス・フィヒテル、オランダ人MFヘインズ・ファン・ハーレン、ドリブルの名手ラインハルト・リブダ、DFロルフ・リュスマン、降格したキッカーズ・オッフェンバッハから獲得したエアヴィン・クレマースとヘルムート・クレマースの双子、今季得点ランク2位となったCFWクラウス・フィッシャー、GKノルベルト・ニークブーア、といった若手からベテランまで質の高いタレントを集め、素晴らしいシーズンを戦う事となる。

第12節ボルシアMG戦の0-7の大敗でさえ、シャルカーたちを脱線させることはなく、前半戦終了時には2位バイエルンを勝ち点1差で抑え「秋の王者」となった。対するバイエルンも、第16節ボルシア・ドルトムントを11-1 (ブンデスリーガにおけるクラブ最大差勝利) で下した。第17節には、シャルケは本拠地グリュックアウフ=カンプフバーンでバイエルンと直接対決に臨み、ファン・ハーレンの得点で1-0の勝利をおさめた。

3月に入るとバイエルンは、FCバルセロナから西ドイツ代表FWゲルト・ミュラーに提示された約100万ユーロ相当のオファーを退けたが (リーガ・エスパニョーラは外国人新規流入規制を解除していた)、昨季最終節に優勝を逃す痛恨の一敗を喫したMSVデュイスブルク戦で、またしても敗れた。しかしバイエルンが後半戦に逃した勝ち点はこの2ポイントだけであり、対するシャルケは最終節までに3敗・2分を喫し、バイエルンが勝ち点1差で首位に立った。

西ドイツも出場したUEFA欧州選手権1972の本大会期間、1972年6月14日から6月18日まではリーグがいったん中断された。そして1972年6月18日、アンリ・ドロネー杯を獲得して戻ってきた代表選手達を加えて、バイエルンとシャルケが最終節直接対決に臨んだ。

平日の水曜日、1972年6月28日に行われた史上初のリーグ最終節直接対決は、じつはテレビ局の要望でナイトゲームにスライドされたものであった。他の最終節の試合はすべて15時半キックオフだったが、バイエルン-シャルケ戦だけは20:00開始である。テレビ生中継はブンデスリーガ史上初で、ARDとバイエルン州の独占放送。

さらに、この試合は二か月後に迫った1972年ミュンヘンオリンピックのメイン会場、オリンピアシュタディオン・ミュンヘンのこけら落としでもあった。観衆は80000人、バイエルンが一試合で得た入場料収入が初めて100万マルクを超え、ブンデスリーガ史上最高額記録であった。前半30分ごろ、デンマーク人DFヨニー・ハンセン (ヘンセン)がバイエルンに先制点をもたらした。 二分後パウル・ブライトナーが追加点を決め2-0。35分シャルケがクラウス・フィッシャーの得点で2-1と点差を縮めるが、後半に入ってバイエルンは69分ヴィリ・ホフマン、80分ウリ・ヘーネス (チームのシーズン100点目)、終了間際フランツ・ベッケンバウアーが加点し、5-1で圧勝。3年ぶりの優勝を決めた。

バイエルンのシーズン100得点は20世紀最多記録、さらに個人成績ではゲルト・ミュラーが40点を決めた。これは約半世紀にわたり一個人のシーズン最多得点数であったが、49年後の2020-2021シーズンに、同じバイエルンのロベルト・レヴァンドフスキが41点を決め、更新した。勝ち点は55で、以降40年間最高記録だった。3ポイント制時代であれば勝ち点79に相当する。

記録を破ったのは2011-2012シーズンに勝ち点81を記録したボルシア・ドルトムントで、勝利:2ポイント換算では勝ち点56に相当する。ちなみにバイエルンは、その翌シーズンの2012-2013シーズンにBVBを上回る勝ち点91を挙げ、すぐに記録を更新し王座も奪回した。

今シーズンのシャルケの最終勝ち点は52で、3ポイント制ならば勝ち点76となる。準優勝クラブの勝ち点としては、2015-2016シーズンの2位ドルトムントが勝ち点78を記録するまで、最高記録だった。

ちなみにシャルケの得失点差 41は、2ポイント制時代の準優勝クラブとしてはワーストであり、1982-1983シーズンの2位ヴェルダー・ブレーメンが唯一これに匹敵する。ホームゲーム成績は16勝2分0敗・54得点8失点で、20世紀最高記録である。

その他の争いと話題

マイスターシャーレを逃した後、シャルケはハノーファーのニーダーザクセンシュタディオンで開催されたDFBポカール1971-1972決勝で、1.FCカイザースラウテルンを5-0で撃破し優勝、カップウィナーズカップ出場を決めた。シャルケがポカール優勝を決めた歴代決勝戦の中で、2011年のMSVデュイスブルク戦における5-0と並ぶ最大点差である。

これにより、リーグ2位のUEFAカップ出場権はカイザースラウテルンに譲渡され、以下3位ボルシアMG、4位1.FCケルン、5位アイントラハト・フランクフルトも出場を決めた。昨季のゴール倒壊事件に続き、ボルシアMGは国際大会でも缶投げ込み試合とあだ名される奇妙な事件に見舞われ、UEFAチャンピオンズカップ 1971-72・ラウンド16で敗退した。

今季のグラートバッハは、FWヘルベルト・ラウメンをヴェルダー・ブレーメンへの移籍で失っていた。ほかにブレーメンはBVBからヴェルナー・ヴァイストとヴィリ・ノイベルガーも獲得、ミリオンエルフ (百万マルクのイレブン) との異名をとり、さらにブレーメンの市旗の色である赤白ストライプ柄のシャツと白いパンツのファーストユニフォームを着用するなど、話題を振りまいたが、チームの成績は11位であった。この1stユニがハンブルガーSVのそれと色が似ていたため、後半戦のアウェイHSV戦では2ndユニフォームを着用せざるを得なかった。

シーズンオフにブンデスリーガ・スキャンダルが明るみに出て、今季に深い影を落とした。八百長行為が確定したアルミニア・ビーレフェルトは、勝ち点41で本来なら残留であるが、スキャンダル処分によって全勝ち点を没収され、最下位・降格となった。スキャンダルの影響でファン離れも発生し、平均入場者数は昨季の21405人から、18730人まで減少した。 15位で降格したのはボルシア・ドルトムントである。チームの高齢化が進んでいることが指摘され、さらにここ数年主力選手を放出したせいで、弱体化してしまった。年間最優秀選手賞はボルシアMGのギュンター・ネッツァー、西ドイツ代表での活躍が高く評価された。

ピッチ外の話題として、グラートバッハからVfBシュトゥットガルトに移籍した西ドイツ代表ホルスト・ケッペルが、うすくなった毛髪を補うためにトゥペ (ヘアーエクステンションまたはカツラの一種) を着用してプレーしたことで有名になり、さらにメーカーから広告料収入を得ていた。

順位表

(出典:)


得点ランキング

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ゲルト・ミュラーの1シーズン40得点は、49年間にわたり最多得点記録だったが、2020-2021シーズンにロベルト・レヴァンドフスキ (41ゴール)に破られた。

FCバイエルン・ミュンヘンのマイスターマンシャフト

(出典:)

移籍市場

FCバイエルン・ミュンヘン

FCシャルケ04

ボルシア・メンヒェングラートバッハ

1. FCケルン

アイントラハト・フランクフルト

ヘルタBSC

1. FCカイザースラウテルン

VfBシュトゥットガルト

VfLボーフム

ハンブルガーSV

SVヴェルダー・ブレーメン

アイントラハト・ブラウンシュヴァイク

フォルトゥナ・デュッセルドルフ

MSVデュイスブルク

ロート=ヴァイス・オーバーハオゼン

ハノーファー96

ボルシア・ドルトムント

DSCアルミニア・ビーレフェルト

主審

(出典:)

脚注

参考文献

  • ウルリッヒ・ヘッセ・リヒテンベルガー『ブンデスリーガ ドイツサッカーの軌跡』秋吉香代子 訳、バジリコ株式会、2005年。ISBN 4-901784-92-7。 
  • Deutscher Sportclub für Fußball-Statistiken (Hrsg.): DSFS Bundesliga-Chronik 1971/72 (PDF; 4,6 MB)

外部リンク

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