増田 博正(ますだ ひろまさ、1973年1月5日 - )は、日本の男性キックボクサー。東京都出身。スクランブル渋谷ジム所属。試合の入場曲は湘南乃風の『晴伝説』。元WPMF世界ライト級王者。
来歴
日本王座獲得
1999年6月1日、全日本フェザー級王座決定トーナメント準決勝で立嶋篤史に判定勝ち。7月13日の全日本フェザー級王座決定戦で藤武蔵に左ハイキックでKO勝ちし王座を獲得した。1999年11月22日、全日本キックボクシング連盟「WAVE-VIII」で佐久間晋也と対戦予定であったが、佐久間の引退により試合が消滅した。
2000年3月、全日本キックボクシング連盟フェザー級王座を返上した。2000年7月31日、初代J-NETWORKフェザー級王座決定戦でアラビアン・ハセガワと対戦し、2-1の判定勝ちで初代王者となった。
2000年12月、立嶋や小野寺や村浜や金沢に勝っている日本人キラーであったグライガンワーンに判定勝ち。
2003年3月、全日本フェザー級王者の前田尚紀にKO勝ち。2003年7月、リアム・ハリソンにKO負け。
2003年11月23日、全日本ライト級王座挑戦者決定戦で藤牧孝仁と対戦し、5R終了時点では0-0の判定ドローとなるも、延長R終了時には1-2の判定負けで大月晴明への王座挑戦権獲得ならず(公式記録はドロー)。
2004年3月、山本真弘に判定負け。2005年7月、リアム・ハリソンにKO負け。
2006年7月23日、全日本ライト級王者サトルヴァシコバに挑戦。TKO勝ちで王座を獲得し、2階級制覇に成功した。
2007年3月、2002年3月にKO負けした大月晴明との再戦、ダウンを奪い判定勝ち。大月に勝った初の日本人。
世界王座獲得
2009年3月1日、東京・ディファ有明で行われた「M-1 FAIRTEX ムエタイチャレンジ 2009 Yod Nak Suu vol.1」のWPMF世界ライト級王座決定戦でデッートサムット・チョールークサムット(タイ王国/元王者)と対戦した。3Rまでは1-1のドローだったが、4R終了時にポイントが逆転し、優勢のまま判定勝ちした。なお、試合はWPMFルールに則って各ラウンド終了後にポイントが読み上げられ、ラウンド間のインターバルは2分取られた。
2009年8月2日に京王プラザホテル八王子で行われたDEEK総合企画主催の「八王子格闘祭り 〜ムエタイの壁〜」に参戦。ユン・ハジン(韓国/ 挑戦者)を相手に自身の持つWPMF王座の防衛戦を行い、5R3-0の判定勝ちで防衛に成功した。最大で5点差がつき、増田の圧勝だった。
2010年1月23日、REBELS旗揚げ戦のメインイベントでコントラノン・エクシンデコンと対戦し、左ローキックでTKO勝ちを収めた。当初はコンタノン・エクシンデコンと対戦予定であったが、交通事故による欠場で対戦相手が変更された。
2010年6月6日、WPMF世界ライト級タイトルマッチでカノンスック・ウィラサクレックと対戦し、0-3の判定負けで王座から陥落した。
2010年8月21日、中国・海南島で開催された興行「龍行天下」のWBCムエタイ世界暫定ライト級王者決定戦でジャルンチャイ・ウッドドニムアンと対戦し、1-2の判定負けで王座獲得はならなかった。
戦績
プロキックボクシング
エキシビションマッチ
獲得タイトル
- 初代J-NETWORKフェザー級王座
- 第18代全日本ライト級王座
- 第17代全日本フェザー級王座
- WPMF世界ライト級王座
脚注
関連項目
- 男子キックボクサー一覧
- 全日本キックボクシング連盟王者一覧
- 世界プロムエタイ連盟世界王者一覧
- J-NETWORK王者一覧
- 日本のキックボクシング世界王者一覧
外部リンク
- 増田博正の「A winner never quits !!!!!」(新公式ブログ)
- キックボクサー・増田博正DIARY(旧公式ブログ)
- H.MASUDA ON THE WEB - ウェイバックマシン(2004年3月9日アーカイブ分)(公式ファンサイト)




