蠣崎 富三郎(かきざき とみさぶろう、1861年4月18日(文久元年3月9日) - 1924年(大正13年)8月30日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
松前藩家老・名古屋裁判所判事、蠣崎多浪の三男として生まれる。陸軍士官学校幼年生徒、士官生徒を経て、1883年(明治16年)12月25日、陸士(旧6期)を卒業し歩兵少尉任官、歩兵第3連隊付となる。1886年(明治19年)1月、陸軍大学校に入学したが退校し、後に再入校して1891年(明治24年)12月、同校(7期)を優等で卒業した。参謀本部副官、陸大教官などを歴任し、日清戦争では第1軍参謀として出征した。1895年(明治28年)から1898年(明治31年)までフランスに留学し、1899年(明治32年)1月に帰国。その後、陸大教官、陸軍戸山学校教官などを歴任した。
日露戦争では、第1軍兵站監部参謀長として出征した。1905年(明治38年)3月、奉天会戦直前に陸軍大佐に進級し第10師団参謀長に発令され奉天会戦に参戦した。歩兵第48連隊長を経て、1909年(明治42年)8月、陸軍少将に進級し歩兵第28旅団長となり、歩兵第2旅団長を経て、1912年(大正元年)12月、ロシア大使館付武官となり、第一次世界大戦の情報収集に従事。1914年(大正3年)8月、陸軍中将となり第11師団長に就任。1917年(大正6年)8月に待命となり、翌年4月、予備役に編入された。
栄典
- 位階
- 1889年(明治22年)7月15日 - 従七位
- 1898年(明治31年)10月31日 - 従六位
- 1903年(明治36年)10月10日 - 正六位
- 1905年(明治38年)4月7日 - 従五位
- 1909年(明治42年)10月20日 - 正五位
- 1914年(大正3年)9月1日 - 従四位
- 1916年(大正5年)9月20日 - 正四位
- 勲章等
- 1895年(明治28年)11月18日 - 明治二十七八年従軍記章
- 1901年(明治34年)11月30日 - 勲五等瑞宝章
- 1905年(明治38年)5月30日 - 勲四等瑞宝章
- 1915年(大正4年)
- 11月7日 - 大正三四年従軍記章
- 11月10日 - 大礼記念章
親族
- 子息 蠣崎富雄(陸軍少佐)
- 義父 坂田巌三(陸軍主計少将)
- 義兄 坂田虎之助(陸軍大佐、坂田巌三の長男、1908年9月11日死去)
- 娘婿 安井藤治(陸軍中将)
脚注
参考文献
- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。




