初月(はつづき)は、日本海軍の駆逐艦。秋月型駆逐艦の4番艦である。艦名は新月の意、特に陰暦8月の初めの月を意味する。
概要
駆逐艦初月(はつづき)は、日本海軍が太平洋戦争で運用した秋月型駆逐艦の4番艦。 1941年(昭和16年)7月末から1942年(昭和17年)12月末にかけて、舞鶴海軍工廠で建造された。
竣工後の1943年(昭和18年)1月15日、秋月型2隻(涼月、初月)は第十戦隊麾下の第61駆逐隊に編入される。 姉妹艦(若月〈昭和18年5月末竣工、8月15日に第61駆逐隊編入〉、秋月〈昭和18年10月修理完了、31日附で第61駆逐隊に再編入〉)と共に、中部太平洋方面や南東方面における艦隊の護衛・各地への輸送任務に従事した。
1944年(昭和19年)1月16日、特設巡洋艦赤城丸を護衛していた61駆(涼月、初月)は豊後水道沖合で米潜水艦に襲撃され、被雷した涼月が大破(船体切断、駆逐隊司令戦死)。初月や応援部隊は涼月を曳航し、呉まで送り届けた。以後、第十戦隊(軽巡矢矧、第4駆逐隊、第10駆逐隊、第17駆逐隊、第61駆逐隊)は輸送任務や小沢機動部隊の護衛任務に従事する。同年6月末のマリアナ沖海戦における第17駆逐隊と秋月型4隻(初月、若月、秋月、霜月)は第一航空戦隊(大鳳、翔鶴、瑞鶴)の直衛となった。
マリアナ沖海戦の大敗後、日本本土に戻った秋月型各艦は主に内海西部で訓練に従事した。7月下旬、空母瑞鳳の護衛部隊(初月、秋月、山雲、野分)として小笠原諸島方面を行動した(スカベンジャー作戦)。 10月下旬、捷一号作戦において、健在の秋月型4隻(初月、若月、秋月、霜月)は小沢機動部隊に所属して囮部隊となる(レイテ沖海戦・エンガノ岬沖海戦)。10月25日の空襲で空母瑞鶴(第三航空戦隊)が沈没すると、初月は同艦乗組員を救助。さらに他の沈没艦や損傷艦を救援中、追撃してきたデュボース提督指揮下の米軍水上艦艇部隊と交戦。軽巡五十鈴等を逃がすため初月は単艦で米艦隊と交戦、集中砲撃を受けて撃沈された。
艦歴
竣工まで
1939年(昭和14年)度(④計画)仮称第107号艦。当初は昭和16年6月に起工し、1943年(昭和18年)5月に竣工というスケジュールが立てられていた。また戦争直前(昭和16年9月12日)に内示された『昭和17年度海軍戦時編制』によれば、秋月型3隻(秋月、照月、初月)で第25駆逐隊を編制予定、第25駆逐隊は空母「鳳翔」および特設航空母艦2隻と『第七航空戦隊』を編制予定であった。だが、この編制を実現する前に太平洋戦争が勃発したため、秋月型3隻(秋月、照月、初月)が第七航空戦隊として実戦に参加する事はなかった。
本艦は1941年(昭和16年)7月25日、舞鶴海軍工廠で起工。 1942年(昭和17年)3月1日、足摺型給油艦「足摺」等と共に命名。同日附で秋月型駆逐艦に類別された。4月3日に進水。 同年10月20日、日本海軍は駆逐艦雪風初代駆逐艦長等を歴任した田口正一中佐を初月艤装員長に任命した。翌日、舞鶴工廠に艤装員事務所を設置。12月15日、田口艤装員長は正式に初月駆逐艦長(初代)となる。 初月は12月29日に竣工した。 同日附で秋月型2隻(涼月、初月)、夕雲型駆逐艦「大波」は警備駆逐艦に定められる。2隻(涼月、初月)は横須賀鎮守府部隊に編入される。
昭和18年の行動
1943年(昭和18年)1月7日、「初月」は追加の特急工事を終えて舞鶴を出発した。 1月15日付で第三艦隊(小沢治三郎中将・海軍兵学校37期)に編入され、第十戦隊第61駆逐隊(駆逐隊司令則満宰次大佐)に配属された。第61駆逐隊は秋月型2隻(1番艦秋月、2番艦照月)で編成されていたが、「照月」は前年12月12日に第二水雷戦隊旗艦としてガダルカナル島輸送作戦従事中に沈没しており、本艦編入と同日附で第61駆逐隊から除籍されている。第61駆逐隊は秋月型3隻(秋月、涼月、初月)で編制されることになった。
横須賀への回航の途中の1月16日未明、「初月」は潮岬沖で浮上していたアメリカ潜水艦ハダックを発見するも逃げられた。田口駆逐艦長が砲撃を命ずる直前に、敵潜(ハダック)は潜水してしまったという。 2月3日、第61駆逐隊司令は則満大佐から大江覧治大佐(前職第19駆逐隊司令)に交代した。 2月19日、第61駆逐隊(涼月、初月)はトラック泊地から佐世保へ回航中の艦隊(指揮官:第三戦隊司令官栗田健男中将、戦艦〈金剛、榛名〉、水上機母艦〈日進〉、重巡〈利根〉、駆逐艦〈時雨〉)を出迎えた。 初月は3月まで本州近海で行動。3月9日、関門海峡で触底事故を起こして呉海軍工廠で修理が行われた。
3月21-22日、駆逐艦4隻(第61駆逐隊〈涼月、初月〉、第15駆逐隊〈陽炎〉、第27駆逐隊〈夕暮〉)は、第二航空戦隊(司令官角田覚治中将・海兵39期)の空母2隻(隼鷹、飛鷹)、第八戦隊(司令官岸福治少将)の重巡洋艦2隻(利根、筑摩)を護衛して瀬戸内海を出撃し、3月27-28日にトラック諸島に到着。
この頃、日本海軍はソロモン諸島・ニューギニア方面への航空攻勢作戦である「い号作戦」の計画を進めていた。同作戦実施に際し、パイロットはもちろんのこと、整備員など航空要員をラバウルに輸送する必要があった。4月1日にカビエン(ニューアイルランド島)に進出。4月3日、同泊地で重巡洋艦「青葉」が夜間空襲を受け大破、擱座した。「初月」は炎上する「青葉」の援護をおこなった。
5月12日、連合軍はアリューシャン列島のアッツ島に上陸を敢行、アッツ島の戦いが始まった。連合艦隊は主戦力を東京湾に集結し北方作戦に備えることを決定する。前連合艦隊長官山本五十六大将(元帥、海兵32期)の遺骨(4月18日海軍甲事件で戦死)内地帰還を兼ねて、大和型戦艦2番艦「武蔵」(連合艦隊司令長官古賀峯一大将座乗)がトラック泊地より内地へ帰ることになる。 5月17日、駆逐艦5隻(第24駆逐隊〈海風〉、第27駆逐隊〈有明、時雨〉、第61駆逐隊〈初月、涼月〉)は戦艦3隻(武蔵、金剛、榛名)、空母「飛鷹」、重巡2隻(利根、筑摩)を護衛してトラック泊地を出発。5月22日、横須賀帰着(武蔵のみ木更津冲入泊)。 5月29日、アッツ島の日本軍守備隊玉砕によりアッツ島の戦いは終わる。 秋月型3隻(涼月、初月、新月)と第27駆逐隊(時雨、有明、夕暮)は、第一航空戦隊(瑞鶴、翔鶴、瑞鳳)と巡洋艦2隻(最上、大淀)を護衛して内海西部に移動した。 6月30日、内地回航中に船体断裂に見舞われた「秋月」は長期修理を余儀なくされて第61駆逐隊から除籍(7月5日長崎到着)、同隊は秋月型2隻(涼月、初月)となった。
7月8-9日、南海第四守備隊(守備隊長道下義行陸軍大佐)を各艦に便乗させ、空母4隻(瑞鶴、翔鶴、瑞鳳、冲鷹)、水上機母艦「日進」、重巡洋艦3隻(利根、筑摩、最上)、軽巡洋艦2隻(大淀、阿賀野)、駆逐艦部隊(第4駆逐隊〈嵐、萩風〉、第17駆逐隊〈磯風〉、第61駆逐隊〈涼月、初月〉、夕雲型駆逐艦〈玉波〉)は日本本土を出発した。暗号解読や僚艦からの通報により、米潜水艦ティノサとポーギーがトラック諸島近海で小沢機動部隊を待ち伏せていた。ティノサは距離3500mで魚雷4本を発射するが回避され、小沢艦隊は被害なくトラック泊地に到着した。
トラック着後、第61駆逐隊は機動部隊第一部隊の指揮下に入った。 7月17日、大本営は南海第四守備隊の南東方面転用(第17軍の戦闘序列編入)を発令する。 7月19日、第61駆逐隊(涼月、初月)は第八戦隊(利根、筑摩)、第十戦隊旗艦阿賀野、巡洋艦2隻(最上、大淀)、第4駆逐隊(嵐、萩風)、第17駆逐隊(磯風)と共にトラックを出撃。 ラバウル到着後、61駆(涼月、初月)は十戦隊から分離、南海第四守備隊を載せて7月22日ブカ島に到着する。輸送任務を成功させ(南海第四守備隊はブーゲンビル島へ進出)、ラバウルに残った第4駆逐隊(萩風、嵐)以外の各艦は26日にトラック泊地へ戻った。なおブーゲンビル島のブインへ向かった日進隊(日進、萩風〔第十戦隊旗艦〕、嵐、磯風)の分隊はアメリカ軍機の空襲を受け、「日進」は撃沈された。第4駆逐隊(萩風、嵐)も8月6日ベラ湾夜戦で撃沈された。
8月8日、駆逐艦3隻(涼月、初月、磯風)は第五戦隊(妙高、羽黒)を護衛してラバウルに到着、南海守備隊第三次進出隊を揚陸した。 8月15日、第61駆逐隊に秋月型6番艦「若月」が編入され、同隊は秋月型3隻編制(涼月、初月、若月)となった。若月は第二水雷戦隊や第十戦隊僚艦(秋雲、夕雲、天津風、初風)と共に主力艦部隊(大和、長門、扶桑、愛宕、高雄)等を護衛して8月23日トラック泊地着。 9月と10月には機動部隊に随伴してマーシャル諸島方面へ出撃したが、会敵の機会がなかった。 10月27日、第61駆逐隊(初月、涼月)は第四艦隊旗艦「鹿島」を護衛して30日にクェゼリン環礁へ到着した。 10月31日、修理を終えた「秋月」が第61駆逐隊に復帰、同隊はようやく秋月型4隻(涼月、初月、若月、秋月)編制となった。
11月10日、ラバウルからトラックに向かっていた輸送船団がアメリカ潜水艦スキャンプの攻撃を受け、輸送船東京丸(摂津商船、6,484トン)が沈没の危機に瀕したとの報を受け、第61駆逐隊(初月、涼月)はトラックを出撃。現場に到着して東京丸の援護にあたった。11月12日8時10分、初月は東京丸の曳航を開始する。しかし、12時10分、東京丸の右舷への傾斜が著しくなったため曳航を断念し曳航索を切断。第61駆逐隊と僚船御嶽山丸(鏑木汽船、4,441総トン)が見守る中、14時55分に東京丸は沈没した。東京丸沈没に先立つ同じ11月12日の朝、スキャンプは11月5日のラバウル空襲で損傷を受けトラックに戻る途中の2隻(阿賀野〔第十戦隊旗艦〕、17駆〈浦風〉)を襲撃、「阿賀野」を雷撃して航行不能に陥らせた。「初月」は東京丸援護を終えて間もなく救援に駆けつけ、また軽巡洋艦「長良」や「涼月」等もトラック泊地より到着した。さらに重巡「摩耶」と潜水母艦「長鯨」のトラック回航を護衛していた第二水雷戦隊も、摩耶と長鯨の護衛に駆逐艦3隻(五月雨、風雲、若月)を残し、軽巡洋艦能代、駆逐艦藤波、早波をもって阿賀野救援に急行。阿賀野は合計8隻(能代、長良、浦風、初月、涼月、藤波、早波)に護衛されてトラック泊地に到着した。
11月20日、クェゼリン環礁、エニウェトク環礁への緊急輸送作戦「丙作戦」に参加してトラックを出撃。 12月7日、重巡洋艦筑摩艦長指揮のもと、61駆(涼月、初月)は瑞鶴と筑摩を護衛してトラックを出港し、12月12日に呉に到着。第61駆逐隊は再び分散した。
12月12日、第61駆逐隊司令は大江大佐から泊満義大佐に交代した(大江大佐は12月26日附で重巡洋艦摩耶艦長)。 修理後の12月23日、第61駆逐隊(初月、涼月)はウェーク島に送られる独立混成第5連隊と戦車第16連隊主力を乗せた特設巡洋艦「赤城丸」(日本郵船、7,389トン)を護衛して呉を出撃し(宇品出港は24日)、1944年(昭和19年)1月1日にウェーク島に到着した。 第一回輸送を終えて呉に帰投し、今度は砲兵大隊・工兵隊・衛生隊を「赤城丸」に乗せた第二次輸送部隊となり、1月15日に瀬戸内海を出撃する。だが1月16日に豊後水道で「涼月」がアメリカ潜水艦スタージョンの雷撃で大破して泊(第61駆逐隊司令)と涼月艦長は戦死、便乗中の陸軍将兵も多数戦死、輸送作戦は一旦中止された。「涼月」を宿毛湾まで曳航の後、日を改めて「赤城丸」を横須賀まで護衛した。駆逐艦3隻(白露、満潮、雷)は同艦以下3隻(赤城丸、靖国丸、愛国丸)を護衛してウェークに向かうが靖国丸を撃沈され、2月1日にトラック泊地へ到着した。部隊の一部は水上機母艦秋津洲によってポナペ島へ輸送された。
昭和19年の行動
1944年(昭和19年)2月6日、第61駆逐隊(初月、若月)は巡洋艦2隻(矢矧、筑摩)・空母2隻(翔鶴、瑞鶴)を護衛して洲本沖を出撃し2月13日に昭南(シンガポール)に到着後、リンガ泊地に回航されて訓練に入った。3月15日、「若月」とともに日本向けの輸送物件を搭載して昭南を出港し、3月21日に呉に到着。 涼月被雷時に戦死した泊大佐の後任として、3月20日附で天野重隆大佐(前職第10駆逐隊〈秋雲、風雲、朝雲〉司令)が第61駆逐隊司令に任命される。 第61駆逐隊はリンガ泊地に向かう新鋭空母「大鳳」の護衛のため3月28日に瀬戸内海を出撃し、4月4日に昭南に到着した。リンガ泊地では対潜掃討と空母発着艦訓練警戒艦を務める。5月11日、あ号作戦準備発令に伴って機動部隊を護衛してリンガ泊地を出撃し、5月15日にタウィタウィに到着して湾外での対潜掃討に従事する。
6月13日、あ号作戦決戦用意発動に呼応して第一機動艦隊(小沢治三郎中将)はタウィタウィを出撃。6月19日のマリアナ沖海戦第一日目、小沢司令長官直率の甲部隊は空母3隻(大鳳、翔鶴、瑞鶴)と護衛部隊(第五戦隊〈羽黒、妙高〉、第十戦隊〔旗艦〈矢矧〉、第10駆逐隊〈朝雲〉、第17駆逐隊〈磯風、浦風〉、第61駆逐隊〈初月、若月、秋月〉、秋月型〈霜月〉〕)で編制されていた。 初月は小沢機動部隊旗艦(大鳳)の視界内(左舷後方1500m)にて直衛を務め、同艦が米潜水艦アルバコアに雷撃されると、敵潜水艦の制圧に従事して主隊と分離した。空母2隻(大鳳、翔鶴)沈没後、本艦は第17駆逐隊(磯風、浦風)や第61駆逐隊僚艦と協力し、沈没艦の乗員救助にあたった。 海戦第二日目の6月20日、甲部隊(旗艦〈瑞鶴〉、重巡2隻〈羽黒、妙高〉、第十戦隊〈矢矧、朝雲、磯風、浦風、若月、初月、秋月、霜月〉)において本艦は旗艦(瑞鶴)の左方に位置し、午後からのアメリカ第58任務部隊(マーク・ミッチャー中将)の艦載機による空襲に対して10センチ砲弾189発、機銃弾3,030発を撃った。海戦に敗れ、6月22日に中城湾に寄港の後、6月24日に瀬戸内海に帰投した。田口駆逐艦長の回想によれば、中城湾で「初月」は「瑞鶴」に横付を命じられ、駆逐艦から空母へ燃料を給油する事になったという。 呉海軍工廠で整備を実施。
7月23日、第三航空戦隊(空母瑞鳳)と護衛駆逐艦4隻(秋月型駆逐艦2隻〈初月、秋月〉、満潮型〈山雲〉、不知火型〈野分〉)は連合艦隊から海上護衛隊に派出され、南方諸島強化の為の輸送作戦に協力することになった。 7月25日、第61駆逐隊(初月、秋月)は瀬戸内海を出港し、横須賀に向かう。 7月30日、5隻(瑞鳳、初月、秋月、山雲、野分)は横須賀を出撃、父島行輸送船団の間接護衛にあたる。対潜哨戒を実施したのち、横須賀に帰投(瑞鳳8月2日横須賀着、3日呉着)。内海西部に移動後、佐世保海軍工廠で修理を行った。 なお輸送船団と小笠原諸島は8月4日から5日にかけてアメリカ軍機動部隊に襲撃され、大損害を受けた。
本作戦中の8月1日附で田口大佐は初月駆逐艦長職を解かれ、6月8日に米潜水艦に撃沈された夕雲型駆逐艦3番艦風雲駆逐艦長橋本金松中佐が初月二代目駆逐艦長に任命された。 修理後の8月25日、3隻(初月、秋月、雪風)は油谷湾で対潜訓練を行った。
レイテ沖海戦
10月17日、アメリカ軍がフィリピン、レイテ湾のスルアン島に上陸し、日本軍は捷一号作戦を発動した。この作戦は第三艦隊司令長官小沢治三郎中将率いる第一機動艦隊が囮となって第38任務部隊(マーク・ミッチャー中将)をひきつけ、その隙に栗田健男中将(海兵38期)率いる第二艦隊主力がレイテ湾に突入し、アメリカ軍の上陸部隊を撃破するというものであった。 10月20日、第61駆逐隊は機動部隊(第一機動艦隊)の護衛艦として日本を出発し、23日にはエンガノ岬沖に進出した。10月24日午前11時45分、小沢機動部隊から攻撃隊58機(零戦30、爆弾装備零戦20、天山艦攻6、彗星2)が発進してアメリカ軍機動部隊攻撃に向かい、正規空母1隻撃沈、1隻撃破を報告した。実際の損害はほとんどない。また松型駆逐艦2隻(桐、杉)が燃料不足のため艦隊から離脱した。 続いて小沢中将は航空戦艦2隻(伊勢、日向)、第61駆逐隊(初月、秋月、若月)、第41駆逐隊(霜月)に対し『南方に進出、好機に応じ残敵を攻撃すべし』と命じた。前衛部隊はアメリカ艦隊を求めて南下したが、小沢中将が午後10時30分に北方退避を命じたため、秋月型4隻も四航戦(伊勢、日向)に従って反転した。
10月25日午前7時、前衛部隊は第三艦隊司令長官小沢治三郎中将が指揮する機動部隊本隊と合流した。前衛艦隊は空母を中心とした輪形陣を組んだ。25日対空戦闘時の小沢機動部隊は第三航空戦隊の空母4隻(瑞鶴、瑞鳳、千歳、千代田)、第四航空戦隊の航空戦艦2隻(伊勢、日向)、軽巡洋艦3隻(多摩、五十鈴、大淀)、駆逐艦6隻(第61駆逐隊〈初月、秋月、若月〉、第41駆逐隊〈霜月〉、松型駆逐艦〈槇、桑〉)で編制され、さらに第一群(瑞鶴、瑞鳳、伊勢、大淀、多摩、初月、秋月、若月、桑)と、第二群(千歳、千代田、日向、五十鈴、霜月、槇)に分離していた。 このあと、小沢機動部隊はエンガノ岬沖において第38任務部隊の艦載機による空襲を受ける(エンガノ岬沖海戦)。空襲により瑞鶴以下4隻(瑞鶴、瑞鳳、千歳、秋月)が沈没し、「多摩」が被雷して単独離脱、空母「千代田」が大破漂流状態となる。秋月乗組員は駆逐艦「槇」に救助された。駆逐艦3隻(初月、若月、桑)とともに瑞鶴・瑞鳳乗員救助にあたった。また被弾損傷した「槇」は北方へ離脱中、単艦で南下する「初月」と遭遇。「初月」は『我艦載内火艇収容の為引き返す』との手旗信号を送り、すれ違った。 この後「初月」は軽巡「五十鈴」と共に救助作業を実施するが、突然砲撃を受ける。
エンガノ岬沖海戦前日の10月24日、第3艦隊司令長官ウィリアム・ハルゼー大将は、栗田艦隊の進撃に備えてこれまで空母の直衛にあたっていた戦艦や巡洋艦、駆逐艦を以って第34任務部隊を編成し、司令官にウィリス・A・リー中将を任命した。ハルゼー大将は当初、第34任務部隊をサンベルナルジノ海峡付近に待機させたが、南を行く西村祥治中将(海兵39期)の艦隊は第7艦隊(トーマス・C・キンケイド中将)指揮下の砲撃部隊で対処でき、栗田艦隊が空襲で引き返し再び東進しても、これも第7艦隊の砲撃部隊で対処できるだろうと考え、当面の撃破目標を北の小沢中将率いる機動部隊に絞って北上した。ところが、戦況はハルゼー大将のシナリオとは全く異なる様相を示した。栗田艦隊がサマール島沖に出現して護衛空母部隊を追いかけまわし、キンケイド中将の泣き言に加え太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツ大将からの「第34任務部隊はどこにいるか。世界が訝っている」の電文(本来は「世界が訝っている」は暗号解読の困難化のために付加された「意味のない一文」であったが、受信した暗号解読員が内容が本文と近いため念のために削除しなかったとされる)を受けショックを受けたハルゼー大将は、空母部隊のうち1個任務群と第34任務部隊のうちの戦艦と軽巡洋艦、駆逐艦を南下させ、残る空母部隊および巡洋艦部隊(ローレンス・T・デュボース少将)は北上した。重巡洋艦ウィチタ、ニューオーリンズ、軽巡洋艦サンタフェ、モービルと12隻の駆逐艦からなるデュボース少将の巡洋艦部隊は、16時25分に漂流中の空母「千代田」を発見して撃沈したが、30分を費やした。巡洋艦部隊は更なる敵を求めて北へと向かう。
18時40分、巡洋艦部隊からの索敵機は1隻の巡洋艦と2隻の駆逐艦を発見し、やがてレーダーでも3つの目標を探知するようになった。目標が射程内に入るや否や、まずモービルが砲撃を開始いてウィチタも砲撃を開始した。「初月」は突然の砲撃を受けたものの、すぐさま煙幕を張って26ノットの速力でジグザグ航行を行い敵弾をかわしつつ「敵水上艦艇ト交戦中」と打電。五十鈴と若月もこれに続いて北方への脱出を図った。やがて「初月」は反撃態勢を整えて巡洋艦部隊に単独で突進し、巡洋艦部隊は魚雷発射を警戒して2度にわたる回避運動を行った。デュボース少将は駆逐艦で足止めを試みつつ、さらに砲撃を続けた。「初月」では火災が発生したが、速力20ノット前後で反撃を続けた。遭遇して約1時間後、彼我の距離が約5,400メートルに縮まったところで、サンタフェが照明弾を発射。これによって更なる集中砲火を受けることとなった。「徐々に又慎重に」砲火を浴びせ続けた結果、20時45分頃には航行不能に陥る。駆逐艦ポーターフィールド (USS Porterfield, DD-682) が止めを刺さんと接近しつつあったその時、アメリカ軍の記録では20時59分(56分とも)、爆発を起こして艦首から沈没していった。沈没地点は北緯20度24分 東経126度20分と記録された。 「初月」の奮戦により、小沢中将率いる機動部隊の残存艦は脱出に成功した(多摩は米潜水艦ジャラオの雷撃で沈没)。
駆逐艦長橋本金松中佐以下290名が戦死、第61駆逐隊司令天野重隆大佐(戦死後、少将進級)、救助された瑞鶴乗員もまた同じ運命を辿った。この時、瑞鶴乗員救助中の初月内火艇が取り残されて漂流、21日目に台湾に流れ着き初月乗員8名と瑞鶴乗員17名が生還している。
12月10日、秋月、初月は秋月型駆逐艦、 帝国駆逐艦籍より除籍された。
歴代艦長
※『艦長たちの軍艦史』355-356頁による。
艤装員長
- 田口正一 中佐:1942年10月20日 - 12月15日
駆逐艦長
- 田口正一 中佐:1942年12月15日 - 1944年8月1日
- 橋本金松 中佐:1944年 8月 1日 - 10月25日戦死(大佐進級)
参考文献
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- 佐藤和正『艦長たちの太平洋戦争 正篇』光人社、1983年、ISBN 4-7698-0207-2
- 佐藤和正『艦長たちの太平洋戦争 34人の艦長が語った勇者の条件』光人社NF文庫、1993年。ISBN 47698-2009-7。
- 綱渡りの航跡 <駆逐艦「秋月」艦長・緒方友兄大佐の証言>(太平洋戦争時、駆逐艦霰沈没時駆逐艦長、軽巡木曾副長、秋月沈没時艦長等)
- 乱戦の中 <駆逐艦「初月」艦長・田口正一兄大佐の証言>(太平洋戦争時、駆逐艦雪風駆逐艦長、軽巡多摩副長、本艦駆逐艦長、軽巡大淀艦長等)
- 実戦即訓練 <海防艦「第四号」艦長・水谷勝二少佐の証言>(太平洋戦争時、駆潜艇3号艇長、海防艦第4号艦長、潜水母艦「駒橋」艦長等)
- 重本俊一ほか『陽炎型駆逐艦 水雷戦隊の中核となった精鋭たちの実力と奮戦』潮書房光人社、2014年10月。ISBN 978-4-7698-1577-8。
- (62-75頁)戦史研究家山内隆『駆逐艦の発達五十年 生い立ちから防空直衛艦や戦時急造艦をうむにいたるまでの進歩変遷の歩み』
- (109-123頁)戦史研究家落合康夫『駆逐隊別「陽炎型駆逐艦」全作戦行動ダイアリィ 第四、第十五、第十六、第十七、第十八駆逐隊 太平洋奮迅録』
- (255-342頁)戦史研究家伊達久『日本海軍駆逐艦戦歴一覧 太平洋戦争時、全一七八隻の航跡と最後』
- 高松宮宣仁親王、嶋中鵬二発行者『高松宮日記 第六巻 昭和十八年 二月〜九月』中央公論社、1997年。ISBN 4-12-403396-6。
- 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。ISBN 4-7698-1246-9
- 竹村悟『太平洋戦記ノンフィクション 軍艦青葉は沈まず 完勝!第一次ソロモン海戦』今日の話題社、1986年4月。ISBN 4-87565-117-1。
- 原為一ほか『軽巡二十五隻 駆逐艦群の先頭に立った戦隊旗艦の奮戦と全貌』潮書房光人社、2014年12月。ISBN 978-4-7698-1580-8。
- 当時「大淀」第三分隊士・海軍中尉足立之義『大淀乗員が見た小沢オトリ艦隊の悲惨 左舷高角砲指揮官が敵空襲下で体験したエンガノ岬沖海戦の現実』
- 当時「五十鈴」工作科・海軍一等工作兵曹須藤岩夫『防空巡「五十鈴」の脈動がわが胸に響くとき 満十七歳の秋、血の海に戦い生還した工作兵の血涙の戦場体験』
- 当時「五十鈴」通信長・海軍大尉芝山末男『防空巡洋艦「五十鈴」エンガノ岬沖の血戦 主砲を撤去して高角砲六門に対空機銃と電探。大改装後の通信長の回想』
- 当時「大淀」航海長・海軍中佐内田信雄『艦隊司令部用旗艦「大淀」の航跡 連合艦隊旗艦としても栄光をになった名艦の生涯を綴る航海長の手記』
- 福田幸弘『連合艦隊 サイパン・レイテ海戦記』時事通信社、1981年7月。ISBN 4-7887-8116-6。
- 淵田美津雄、奥宮正武『機動部隊 新装版戦記文庫』朝日ソノラマ、1992年12月(原著1951年)。ISBN 4-257-17269-X。
- 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 中部太平洋陸軍作戦(1) マリアナ玉砕まで』 第6巻、朝雲新聞社、1967年7月。
- 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 北東方面海軍作戦』 第29巻、朝雲新聞社、1969年8月。
- 防衛庁防衛研究所戦史室編 『戦史叢書13 中部太平洋方面陸軍作戦(2)ペリリュー・アンガウル・硫黄島』朝雲新聞社、1968年
- 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 中部太平洋方面海軍作戦(2) 昭和十七年六月以降』 第62巻、朝雲新聞社、1973年2月。
- 防衛研究所戦史室編『戦史叢書56 海軍捷号作戦<2> フィリピン沖海戦』朝雲新聞社、1972年
- E・B・ポッター/秋山信雄(訳)『BULL HALSEY/キル・ジャップス! ブル・ハルゼー提督の太平洋海戦史』光人社、1991年、ISBN 4-7698-0576-4
- ドナルド・マッキンタイヤー、大前敏一訳『レイテ 連合艦隊の最期・カミカゼ出撃』サンケイ新聞社出版局、1971年3月。
- 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦11 駆逐艦II』光人社、1990年、ISBN 4-7698-0461-X
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- 当時海軍技術大佐塩山策一『大鳳と瑞鶴で見たマリアナ沖海戦』
- 元第一機動艦隊参謀・海軍大佐大前敏一『あ号作戦・レイテ沖海戦に散る 小沢機動艦隊の最後』
- 当時第六五三空付・元海軍二等整曹安倍稠也『エンガノ岬沖の死闘 オトリ艦隊「瑞鳳」比島沖に潰ゆ』
- 山本平弥ほか『秋月型駆逐艦<付・夕雲型・島風・丁型> 戦時に竣工した最新鋭駆逐艦の実力と全貌』潮書房光人社、2015年3月。ISBN 978-4-7698-1584-6。
- 当時「秋月」二代目艦長・海軍中佐緒方友兄『二代目艦長が綴る駆逐艦「秋月」の奮戦 被雷損傷修理をおえ新艦長を迎えて前線復帰した後の精鋭艦の航跡』
- 当時「秋月」罐部四分隊士・海軍中尉山本平弥『防空駆「秋月」の死命を制した最後の一弾 秋月の沈没原因は敵潜の魚雷か直撃弾か。それとも発射管の誘爆か』
- 当時「秋月」乗組軍医長職務執行者・海軍軍医中尉国見寿彦『「秋月」軍医長 炎の海よりわれ帰還せり 初月若月と共にエンガノ沖に戦い沈没後は槇に救われた九死一生の体験』
- 当時「秋月級」設計主務者・海軍技術大佐松本喜太郎『私はこうして愛児「秋月級」を誕生させた 防空専用艦誕生にいたる背景や苦労を主任設計者が回想する建艦秘話』
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- 第十戦隊司令部『自昭和十九年七月一日至昭和十九年七月三十一日 第十戦隊戦時日誌』(昭和19年7月1日〜昭和19年11月15日 第10戦隊戦時日誌(1)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030050800
- 第十戦隊司令部『自昭和十九年九月一日至昭和十九年九月三十日 第十戦隊戦時日誌』(昭和19年7月1日〜昭和19年11月15日 第10戦隊戦時日誌(3)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030051000
- 第一機動艦隊司令部『昭和十九年十一月十日 機動部隊本隊 捷一号作戦戦闘詳報 自昭和十九年十月二十日至同年十月二十九日 比島沖海戦』(昭和19年10月20日〜昭和19年10月28日 捷号作戦戦闘詳報(比島方面決戦)(1)(2)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030036600、C08030036700
- Ref.C08030582100『昭和19年10月20日〜昭和19年10月25日 軍艦瑞鶴捷1号作戦戦闘詳報(1)』。
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- SS-231, USS HADDOCK(issuuベータ版)
脚注




