1911型大型水雷艇(ドイツ語: Großes Torpedoboot 1911)は、ドイツ帝国の大型水雷艇。1911年から1913年にかけて26隻が建造された。その規模から、駆逐艦とみなされる場合もある。

前級となる1906型大型水雷艇最終艇となったG197の後に続く198 - 207を予定されていた連番を1に戻し、より小型で機動性の高い艇として設計された。だが、この試みは安定性を欠き、激しい海況では運用できないため失敗に終わり、加えて燃料の運用にも支障を来した。結果、当時水雷総監であったヴィルヘルム・ランス中将の名から「ランスの障害者」(Lans-Krüppel)とまで称されることとなった。ただし、この計画はアルフレート・フォン・ティルピッツの費用節減路線をランスが踏襲したに過ぎない、とする説も存在している。後継の1913型大型水雷艇では方針を変更し、艇体を拡大している。

AG ヴルカン建造のV1級8隻、ゲルマニアヴェルフト建造のG7級6隻、F・シーヒャウ建造のS13級12隻の3種26隻が建造され、その内V1級2隻がギリシャに輸出されてケラウノス級駆逐艦となっている。これらは、搭載機関、艇体が異なるものの、搭載する武装は同一であった。

艇体

武装

8.8cm(砲身長30口径)単装砲2門、500mm魚雷発射管4門を備えた。加えて機雷18基と魚雷の予備弾1発を搭載可能であった。後に砲はより強力な砲身長45口径の8.8cm砲と交換されている。

型式

  • V1級大型水雷艇 - 8隻建造、2隻が輸出された。
  • G7級大型水雷艇 - 6隻建造。
  • S13級大型水雷艇 - 12隻建造。

出典


Navi e Armatori Approdi di Passione

PT596

Navi e Armatori Approdi di Passione

Облик тральщика проекта 10750Э bmpd

Navi e Armatori Approdi di Passione